日々感じたことなど気ままに書き綴っています。
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イキガミ盗作騒動。
今までも噂はぽちぽちあったようだが、ここにきて一気にネット中を席巻している。
賛否両論、どうにも結論がつけがたい事案であるだけに、盗作されたという原作者遺族も、イキガミ原作者も、さぞかし辛いのではないかと思う。
と、なんだか知った風に書きだしてみましたけど、実はどっちも読んだこたーありません。
が、末端で創作にたずさわる者として、盗作騒動にはいつも人ごとではない痛みを感じているので、ちょっと思うことを書いてみようかと思います。
イキガミ騒動を知らない方は、こちら。
http://www.cyzo.com/2008/09/post_962.html
この記事を読む限り、えー、そのまんまじゃん!
と、私も思いました。
その後、小学館のコメントと原作者の公式サイトを読みまして、まぁ、なるほどな……これはお互い辛いだろうなぁ(主張が本当なら)、などと思ったりしました。
まず、偶然というのは、絶対あると思います。
えー、こんなに似てるのに?と、思われるかもしれないですけど、全くありえないことじゃないと思います。
それは私も、よく経験しています。
根幹となる基本設定については、発想の起点が同じだとしたら、必然的に似てくると思います。
国家繁栄のために若者に死を。
国民の人数を維持するために若者に死を。
パクリとしか思えないほど似ていると思われても、発想の起点が同じであれば、この程度の……といってはなんですけど、発想は、決して一人しかできないわけではないと思います。
肉づけして話を膨らませていく過程も、同じです。
作者というのは、あらゆるパターンを想定し、どのような主人公を設定し、どういう事件をもってきたらこの物語が一番面白くなるか――それのみを念頭に話を作っていくわけですから、一見、ゴールは幾通りもあるようで、一人の人間が考え付くものとしては、実はあまりないのではないかという気もします。
言いかえれば、発想の方法、観てきた映画や本、思想、嗜好がよく似た人間がその作業をしていけば、非常によく似た設定の物語ができる可能性は、皆無ではないと思うのです。
あくまで一般的な話ですけどね。
私にしても、プロットを考えていく過程において、気がつけばどっかで見たような話に流れていくことがしばしばです。
で、これはないだろう、というほど斬新なものを考えたとしても、では、同じものがこの世界に絶対にないのか?と問われたら、……いや、どっかにあると思う。と、答えるしかないでしょう。
人類が培ってきた文明において、娯楽としての物語は、すでに、ありとあらゆパターンが書き尽くされており、どこにもないオリジナルな設定を考えつくことは、不可能に近いほど難しいことです。
さらに、今まで書かれてきたすべての物語をあまねく読みつくすことも、同時に不可能といってよいと思います。
そんなわけで、今の時代、絶対にどこにもない話を作るのは不可能です。
そんなことにこだわっていたら、創作者は全員行き詰ってしまいます。
似たような設定であっても、別の作者が作家魂をこめて書けば、それはもう別世界の話になると思います。とある設定に影響を受け、仮に拝借したとしても、作者が書きたいテーマがほかのところにあるのなら、作品としては、それで十分だと思うし、全く問題はないと思います。
問題がある!設定もアイデアも同じものはダメ!
ということになれば、一部の早く生まれた作家の既得権を守るために、娯楽の世界は多大な損失が生じることになるような気がします。ここで損をするのは、未来に面白い物語を読む可能性がある私たち読者です。
私は、作家というのは、いや、作家にかぎらず創作家というのは、面白い物語を提供してナンボ、人を楽しませてナンボの職業だと思います。
自分の書いたものが人を楽しませ、その楽しんだ人が、さらに人を楽しませる。
これに尽きる醍醐味はないのではないのかな……。
もし原作者ご本人が生きておられたら、どうだったかな、と思います。こんな騒ぎになっていただろうかと。
自身の作品が、盗作されたものに名誉ごととって代わられるなら、むろん黙ってはいられませんが、今回は違うのではないかな、と思います。
誰がどうみたって、最初の発想は星さんでしょう……
ただ、小学館のコメントにも、多少の?はありました。
読んでなきゃそれでいいのか。
ってことです。
読もうが読むまいが、先に書いたものがアイデアの持ち主であることは間違いありません。
結果的に、ここまで似たものを書いてしまった場合、それを言い訳にしてはならないと思います。
「読んでないから、問題ない」
が通っちゃえば、なんでもアリです。そこを強調すべきではないのではないかな。
「本当に読んでいない」のなら、きちんと遺族に作品を作った経緯を説明すべきであり、同時に、すでに発行されている作品に、もう少し敬意を示すべきだと思います。
あのコメントは……少し冷たいような気がしました。
読んでないし、テーマが違うから関係ないでしょ、みたいな。
まぁ、難しいですけどね……。
すでにこじれちゃってるみたいですし……
どう説明しようと、しょせん真偽は、本人にしか分からないだけに、騒ぎの渦中の作者さまはお気の毒だと思います。
今までも噂はぽちぽちあったようだが、ここにきて一気にネット中を席巻している。
賛否両論、どうにも結論がつけがたい事案であるだけに、盗作されたという原作者遺族も、イキガミ原作者も、さぞかし辛いのではないかと思う。
と、なんだか知った風に書きだしてみましたけど、実はどっちも読んだこたーありません。
が、末端で創作にたずさわる者として、盗作騒動にはいつも人ごとではない痛みを感じているので、ちょっと思うことを書いてみようかと思います。
イキガミ騒動を知らない方は、こちら。
http://www.cyzo.com/2008/09/post_962.html
この記事を読む限り、えー、そのまんまじゃん!
と、私も思いました。
その後、小学館のコメントと原作者の公式サイトを読みまして、まぁ、なるほどな……これはお互い辛いだろうなぁ(主張が本当なら)、などと思ったりしました。
まず、偶然というのは、絶対あると思います。
えー、こんなに似てるのに?と、思われるかもしれないですけど、全くありえないことじゃないと思います。
それは私も、よく経験しています。
根幹となる基本設定については、発想の起点が同じだとしたら、必然的に似てくると思います。
国家繁栄のために若者に死を。
国民の人数を維持するために若者に死を。
パクリとしか思えないほど似ていると思われても、発想の起点が同じであれば、この程度の……といってはなんですけど、発想は、決して一人しかできないわけではないと思います。
肉づけして話を膨らませていく過程も、同じです。
作者というのは、あらゆるパターンを想定し、どのような主人公を設定し、どういう事件をもってきたらこの物語が一番面白くなるか――それのみを念頭に話を作っていくわけですから、一見、ゴールは幾通りもあるようで、一人の人間が考え付くものとしては、実はあまりないのではないかという気もします。
言いかえれば、発想の方法、観てきた映画や本、思想、嗜好がよく似た人間がその作業をしていけば、非常によく似た設定の物語ができる可能性は、皆無ではないと思うのです。
あくまで一般的な話ですけどね。
私にしても、プロットを考えていく過程において、気がつけばどっかで見たような話に流れていくことがしばしばです。
で、これはないだろう、というほど斬新なものを考えたとしても、では、同じものがこの世界に絶対にないのか?と問われたら、……いや、どっかにあると思う。と、答えるしかないでしょう。
人類が培ってきた文明において、娯楽としての物語は、すでに、ありとあらゆパターンが書き尽くされており、どこにもないオリジナルな設定を考えつくことは、不可能に近いほど難しいことです。
さらに、今まで書かれてきたすべての物語をあまねく読みつくすことも、同時に不可能といってよいと思います。
そんなわけで、今の時代、絶対にどこにもない話を作るのは不可能です。
そんなことにこだわっていたら、創作者は全員行き詰ってしまいます。
似たような設定であっても、別の作者が作家魂をこめて書けば、それはもう別世界の話になると思います。とある設定に影響を受け、仮に拝借したとしても、作者が書きたいテーマがほかのところにあるのなら、作品としては、それで十分だと思うし、全く問題はないと思います。
問題がある!設定もアイデアも同じものはダメ!
ということになれば、一部の早く生まれた作家の既得権を守るために、娯楽の世界は多大な損失が生じることになるような気がします。ここで損をするのは、未来に面白い物語を読む可能性がある私たち読者です。
私は、作家というのは、いや、作家にかぎらず創作家というのは、面白い物語を提供してナンボ、人を楽しませてナンボの職業だと思います。
自分の書いたものが人を楽しませ、その楽しんだ人が、さらに人を楽しませる。
これに尽きる醍醐味はないのではないのかな……。
もし原作者ご本人が生きておられたら、どうだったかな、と思います。こんな騒ぎになっていただろうかと。
自身の作品が、盗作されたものに名誉ごととって代わられるなら、むろん黙ってはいられませんが、今回は違うのではないかな、と思います。
誰がどうみたって、最初の発想は星さんでしょう……
ただ、小学館のコメントにも、多少の?はありました。
読んでなきゃそれでいいのか。
ってことです。
読もうが読むまいが、先に書いたものがアイデアの持ち主であることは間違いありません。
結果的に、ここまで似たものを書いてしまった場合、それを言い訳にしてはならないと思います。
「読んでないから、問題ない」
が通っちゃえば、なんでもアリです。そこを強調すべきではないのではないかな。
「本当に読んでいない」のなら、きちんと遺族に作品を作った経緯を説明すべきであり、同時に、すでに発行されている作品に、もう少し敬意を示すべきだと思います。
あのコメントは……少し冷たいような気がしました。
読んでないし、テーマが違うから関係ないでしょ、みたいな。
まぁ、難しいですけどね……。
すでにこじれちゃってるみたいですし……
どう説明しようと、しょせん真偽は、本人にしか分からないだけに、騒ぎの渦中の作者さまはお気の毒だと思います。
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